「オーダー品」カテゴリーアーカイブ

再び桜を見に行く

えーっと・・・今月から来月まで週末、飲食出店イベントが続くのですが

前日の土曜日。急遽と言うか無理やりスケジュールを空けて・・・・

嫁さんと、今年も最初が峰に桜花見に行ってきました♪

もう・・・・4~5年になるかな?

一番最初は私がCB400SFに乗り始めた頃・・・花子(嫁)も

中型免許は持ってたモノのバイク無しで2人タンデムで

迷いまくって(笑)見に来たっけ・・・

(* ´艸`)

それから、花子(嫁)もバイクを乗り始め、毎年この時期に

2台で行くように恒例行事なってた。

ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

っが、2年前に私が脳梗塞で入院し、半身麻痺になってしまい

もうバイクも乗れない絶望的な状態・・・・・だったけど

必死のリハビリで見事に復活!リハビリ退院の目標は

「後遺症も介護なし!で再び大型バイクを嫁さんと乗る!」

だった。

ソレが今、現実に叶ってる。ヾ(*´∀`*)ノ

たぶん、大きなケガや大病を患った方なら判るだろうけど、

「あっ・・・コレはマジにヤバいな?今日、死ぬのかも?」

って気付いた時、ホント・・・冷静に

(死ぬのが恐いのでは無くて)

「そっか・・・もう会えないのか?残念だなぁ・・・」

っと言う淋しいと言うより、残念な気持ちになるの。

「あぁ・・・もっとみんなに感謝しておけばよかった」みたいにね?

コレは物語や小説読んで想像上で感情移入して泣けてくるのとは

違い、ホントにリアルで走馬灯が過って時間がゆっくりになって・・・

一言で言ったら「残念」としか言いようがない。

後悔も懺悔も謝罪とかもモチロンなんだけど、そんなのは後からで

ホントに、この世から自分だけ退場しなきゃいけない事がホントに

残念で、思い残す事だらけでタイムアップかぁ・・・って感覚なの。

( ̄~ ̄;)ウムム

っで、もし、もしも死ぬ時が判っているなら・・・もっと、こうしておけば

仲良くして喧嘩しなきゃ良かった・・・っとか色々思う訳よ。

でも、いつしか忘れて、生きてる事が当たり前になって、

(自分が)クソ生意気になっちゃうの。

私自身、学生時代、大きなバイク事故で生死を彷徨って判ってた筈なのに

ホント、2年前に意識もうろうと救急車に運ばれてる時に・・・・

「あぁ・・そうだったよなぁ・・・」って後悔先に立たずでした。

腹が立つ。侮辱された。相手にもされなかった。軽く見られた。

言い方よっ!常識的に変じゃない?なんで私ばっかり・・・・・

誰だって、日々、色々思う事があると思うし感情的になっちゃうもの。

(*・ω・)(*-ω-)

最愛のパートナーや家族に心にもない酷い事を言い放ったり、

友達と喧嘩別れしたり・・・でもね?それらの不満は全て、

(相手も自分も)

「明日も生きてるだろうと言う傲慢な楽観的前提」なの。

つまりね?明日、死ぬと判ってる人に暴言なんて吐く意味無いし、

自分が明日、死んじゃうのにワザワザ嫌われたい人も居ない。

まさか、後で謝るツモリが死ねば謝罪も出来なくなるとまでは思ってない。

β(□-□ ) フムフム

自殺なんて、典型的ですよね?「自分は明日も生きてる」と

思ってるからこそ自ら命を絶とうとか・・・・どんだけ傲慢やねん!

死にたいんなら、その健康体、俺にくれよ(笑)

┐(´∀`)┌ッタクッ!

っと言うか、自害して命を絶ったとして、その瞬間、嫌でも気付くと思う。

「あっ・・ちがっ!そっかぁ・・そうだったのか・・」っと

死ぬ間際に気付いちゃうと思う。

死んで逃れる以外に選択肢がゼロでも無かった事や、それほど嫌で

逃げたいと思ってたそのものが被害妄想で自分から生み出してたんだな?とか・・

┐(´∀`)┌ダローネ?

っで、「命は大切だ」とか「命は儚いもので守るべき」とかになるんだろうけど

「死ぬのが恐い」死への恐怖ってのは、死なないと思ってる傲慢ゆえの妄想なのw

死ぬ時ってね?

事故でも病気でも老衰でも・・・・まさか、今日、コレで自分はプツリと

死ぬんだろうと気付く瞬間まで、死ぬ予測は出来ていないモノなの。

死の恐怖に怯えながら・・・・なんて事は無い。

現に、あの夜、私は死んでいたかも知れないのに、あの瞬間まで

「今日でポックリ死ぬ」とは判って無かった。

「ワシはもうアカンねん。いままでホント有難うな?」とか

言ってる寝たきり爺さんですら・・・・あと2分後に・・まさかと

思ってるもんです。

( ´,_ゝ`)プッ

だから、死が恐い&死を受け入れるなんて心構えは無意味で

生に執着してようがいまいが、全く関係ない。

闘病で苦しんだり、諦めてる人ですら、まさか今夜とかは思ってない。

┐(´∀`)┌ヤレヤレ

つまりね?どっちみち、未練タラタラで、ある意味、諦めと言うか

踏ん切りは付くけど、覚悟なんてのはしようが無いし、どうであっても

「あぁ・・・・そっかぁ・・・死ぬのか・・・残念だなぁ?」としか

思わないと思う。

事故や災難で一瞬だと、それすら考えられない事はあるだろうけど。

っでね?そう考えたら「人に嫌われないように」とか、そんな次元じゃ無くて

世の中の全ての人に感謝しか無いし、特に自分と関りを持ってくれた人々に

ホントに有難うしか無いの。っで、もし、運よく今も生きれていたら・・・・

ホントに生きてる、たったそれだけの事が、もの凄くラッキーで有難いと感じる。

ヘラヘラ生きろって意味じゃ無くて、慎ましく生きろって意味じゃ無くて、

「不満は傲慢ゆえに生まれる感情」なんだと気付かないとね。

「明日もきっと生きてるだろう」と言う自分勝手な何の根拠も無い自己中の

楽観的思考前提で、それ前提だと当然だとしてた感情も、どちらかが

プツリと死ねば、一気に崩壊して崩れちゃうの。

どっちが合ってる、間違ってる・・・そんなのひっくり返っちゃう。

っで・・・自分の死は(自分にとって)最大級の大事件なんだけど・・・

当たり前と言うか、自分以外の人にとっては、所詮は他人事で、普通に

一般的にあり得る不幸の「お悔み」の一つに過ぎないのよ。

そう考えると、今を出来るだけ楽しく生きて、大切な人と人生を謳歌した方が

お徳だと判る。

それで例え、どんだけ謳歌した来たとして・・・死ぬときは、やっぱり

「残念だなぁ・・」っと思っちゃうんだから。死は避けられないし、

どんだけ慎重に生きても、どれだけ体調管理してても死ぬときは死ぬ。

まぁ・・・・愚痴になっちゃうけど、私より不摂生してる人は山のようにいて

毎年健康診断に引っ掛かってる100kg超えデブや90歳超えてもピンピン

してる高齢者とか居て・・ワシは4回も脳梗塞になったなどと自慢してる

クソ爺見てると、なんで俺やねん!ってホントに思うけど・・・・

ソレが不運。

日頃の行いが良かろうと悪かろうと、健康に気を配ろうと配らなくても

全然、カンケー無い。やるせない、なんとも納得しにくい現実。

それを強引に自分で受け入れ納得する手段が「不運だった」と

言う事にしてるだけ。

そして、ソレでも今、生かして貰い、生きれてる事。

ホント「生きてるだけで丸儲け」な事。ポンコツになっちゃった私を

支えてくれる家族、友人。もうホント死ぬまで感謝しかない。

こんなキレイな景色。田舎の素晴らしさ。無い事の不満より

ある事への感謝を忘れず、強い意志があったからこそ、私は

また折れる事なく頑張れるし、支え甲斐があると言うモノ。

「今年も嫁さんとセンダボ2台で見に来れた。

 あぁ・・生きてて幸せだなぁ・・・感謝せねば」

そう噛み締めた。

皆さんも日々の中で「イラッ」っとしちゃう時があると思うけど

怒りたければ怒れば良い。でも、互いに明日も生きてる幸せ前提で

それ故のクソ生意気な傲慢から沸き上がる感情だと気付くべき

だと思う。

私はアホだから(*´σー`)エヘヘ人生で2度も死に掛けて気付いたけど、

そのくらい皆さんなら判ると思う。生きてる事こそが幸せです。

実兄の看板リニューアル

またまたワガママ実兄のご依頼で・・・・

以前、私が塗装修繕した店舗前のデカ看板。

コレが少々くたびれ気味。

特に「あじせん 坂のうえ」の文字が見えにくい。

っと・・・・言うか、前回、変色劣化でこうなるから

クリアー塗装した方が良い!っと勧めたんだが?

┐(´∀`)┌ヤレヤレ

今になって、文字がクッキリ見えるように、磨いて

(変色劣化しないように)クリアーコーティングして欲しい。

しかも、定休日含む2日間で・・・

┐(´∀`)┌ヤレヤレゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ!

コレも、あの2年前だったら、もっと簡単に施せたし

当時なら脳梗塞前で上までよじ登ってチョイチョイと

施せただろうに・・・・

┐(´∀`)┌イッテモネェ・・・

仕方が無いので、一枚ずつ剥がして磨く事に・・・・

コレだけ起伏が大きく、大判だと自動プレーナーにも

入らないので、イチイチ・・・・手で研磨φ(°ρ°*)チマチマ

変色が無くなるまで・・・ひたすら磨く。

φ(°ρ°*)チマチマゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ!マジカ?

っで、腐朽菌をハイター殺菌漂白してから、二液ウレタンで

クリアーコーティングして、文字の黒フィルムも貼り直して・・・

取り付け完了!!

んね?文字がクッキリ見えるし嫌味っぽく見えない。

一応、高耐久の二液ウレタン透明コーティングだから

数年は持つはず。

ただ、直射日光&雨ざらしの看板で、何十年も耐久性って

無いモノです。最新の高耐候性フィルムでも5年だったか?

そんなもんです。

自動車や家の外装だって、何十年も持つ訳無いし冷静に

考えれば、そんなの墓石くらいのもん。┐(´∀`)┌ヤレヤレ

まぁ・・・

田舎の国道走ってれば色が剥げた看板も多いですが、

元々、そんなに屋外放置で何十年も持つようなモノは存在せず

常に看板変えたり、塗装し直したり、フィルム貼り替えたり

やってるの。都会だと、そのスパンが早いので、色褪せたり

しないモノなのかも?っと勘違いしちゃうけど、そんな訳はない。

また痛めばやり直せば良いんだし、何十年も同じ看板を上げ

続けられる時代じゃ無いモノだもん。

( ´,_ゝ`)プッ

もうすぐ春ですね♪

いやはや、早いモノで3月も残り僅か。

すっかり春めいて来ましたね♪(*´▽`*)

っで、全くカンケー無いのですが・・・

蘭ニングの入り口の引き戸が壊れて大変な事に・・・・

っで、急遽、スロープ状になってる踏み込み床を捲って

対処する事に・・・

( ̄~ ̄;)ウムム

パッっと見、アルミ引き戸のドア下のレールが割れて

ちょっと引っ掛かる程度。

それの何処が大変かと言うと・・コレ、このまま放置してたら

引っ掛かって開け閉め不能に陥り、最悪、ドアの引き戸から

丸ごと全て全交換しなくちゃならない。

ご存じのように近年のスライド引き戸は屋外屋内に関わらず

吊戸(上部レール)が一般的。

この年季の入った蘭ニング温室の玄関ドアも吊戸なんだけど

スライドする戸は、下のアルミ溝を通る構造。

台車でガコーン!ガコーン!っと毎回ぶつけてたのか?

下の埋没させてるアルミ溝ガイドがバキバキ。

┐(´∀`)┌ヤレヤレ

んで、曲がってしまったガイドに気付かず、これまた

「ん?何か固いな?ウンショ!」っでバキーンとスライド戸を

ブチ当てるから、アルミの溝ガイドが引きちぎれてボロボロ。

ホント、無意識の連鎖って恐ろしい。

埋没させてる太いアルミレールを引きちぢってしまうんだものw

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

こんな太いアルミレールなら引きちぎれる前に気付きそうなモノ

だけど、蘭爺も蘭婆も蘭メンバーもお客さんも誰一人、自分のせい

だと思っていない。日々の蓄積疲労って怖いw

( ´,_ゝ`)プッ

でも、ホント、コレは、普通のご家庭の日常の癖でも起こりえる。

まさか・・・・ソコまで大変だとは素人は気付かないけど

ホント、致命傷で酷くなる前に気付いて良かった。

(*´σー`)エヘヘ

つーか、コンクリートの地面に埋没させてるアルミレールを

交換しようと思ったら、クソ重たいスライド吊戸を外して、

床をバリバリ削って掘り出すしかない。そんなの今更出来ないし。

ぶっちゃけ、蘭爺もあと何年、蘭ニングを続けられるか?

不明だけど・・・・・今更、ココに何十万円とか修理費掛けて

直すのは無茶だろう。あと数年持ってくれれば・・・・

だけどね?

物体に感情は無いし自然治癒も無いし、時間が巻き戻る事も

絶対にない。全くの無情で「あと少し」は通用しない。

具体的に言ったら、(蘭爺は随分前から気付いてたらしいが)

もし、コレに私が気付かずそのまま放置だと・・・・

数日後には千切れたアルミレールがスライド戸との隙間で

嚙みこんでドア自体の開閉が不可能になる。っと言う事は

数日後、今より大変な壊れた吊戸を持ち上げて外して撤去。

もう修復は不可能だからアルミ建具さんに入れ替えを頼めば

新調50万円はする筈。

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

「あと数年・・・」なんて言ってられない。明日から

ドア無しで営業するか?もし、ドア全開になったら

冬場はストーブが効かず、温室として機能しなくなっちゃう。

んね?「ちょっとドアが開き難くなっただけ?」では無くて

「蘭ニングの営業終了を早める危険性」すら出てくる一大事。

メチャクチャ大事になっちゃうでしょ?

┐(´∀`)┌ヤレヤレ

家とか建物とか、自動車や、まぁ家電なんかもそうだけど

ちょっとした不具合や綻び、メンテナンスや修理を先延ばし

放置したら、一気に劣化して四の五の言ってられない状況に

陥りやすい。

軽傷で大した事無い・・・時に先手を打てばメンテナンスすれば

もう少し延命出来たのに・・・っと言う事が沢山ある。

「そうは言っても・・」「今、物入りで余裕が・・」

っと言う気持ちはすごく良く判るけど、モノには感情無いし

情けも全く通用しない。

でも、明日、自動車が壊れたら困るし、冷蔵庫が壊れたら

洗濯機が壊れたら・・玄関ドアが開かなくなったら・・・

たちまち困っちゃう。

裏を返せば、もっと前から気付いてただろうし、そのままで

自然治癒する訳が無いんだから、何らかの処置は出来たはず。

「後悔先に立たず」とは本当で、窮地に陥らないと、猶予を

浪費した失態の重大さに気付けないモノです。

っと言う訳で、

床を捲って千切れたアルミガイドを超強力接着剤で固定して

際をコンクリートで埋め直して補強。

ギリギリ・・・なんとか食い止めた。っと言う感じ。

完全な修理は出来なかったものの「あと何年か・・・」は

持つ。

でも、よーく考えて欲しいんだけど、発端は、通例とはいえ

ガコーンガコーンと当然のように台車で無理やりに乗り越えてたから。

また懲りずに同じ事を繰り返せば、スグに壊れるだろう。

故障原因、その症状には原因があり、ソコから改めないと

一難去って・・・喉元過ぎれば・・・に陥っちゃう。

ココの溝に嵌るような敷板を用意すれば回避できる。

でも、少しだし・・・めんどくさいし・・・・っと

なれば同じ事。耳に痛いように聞こえるかも知れないけど

私は意地悪で言ってるのでは無く、物体モノに情けは通用

しない。っと言う事を嫌と言うほど良く知ってる。

物理法則は常に無情で、必ず因果があり、嘘付こうが

誤魔化そうが、ご機嫌取ろうが・・・全く通用しない。

「もう!なによ!あと少しくらい・・・ケチ!」って

通用するなら私が言いたいわw

┐(´∀`)┌ヤレヤレ