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ノーマルで十分?

先日、知り合いのSNS投稿(バイク関連)で

「俺にはノーマルで十分」と自分で書いてあった。

過度に改造したバイクをノーマルに戻してる記事で

素人DIYならではの勘違い知識満載だけど(* ´艸`)

少なくとも・・・「ノーマルで十分」は合ってる。

β(□-□ ) フムフム

つーか・・・・感覚的には、少し自分を卑下した

諦めに似た落としどころっぽく書いてると思うけど

「いや・・・そのまんまw止めもしないし慰めもしない」

彼はバイクの知識も運転テクニックも私より当然

低く、大人しく交通ルールを守るタイプなので、

正に「そのまま。正しいと言うか、今頃ぉ?」

ってのが正直な感想。

( ´,_ゝ`)プッ

何を言いたいのか?つーっと・・・自称、自動車好きや

バイク好きの多くは、改造、カスタム、チューニングなど

「愛車を改造する事」をステータスと勘違いしやすい。

一昔前に、チューニング・ブームと言うのがあって、

私も学生の時にドハマりしたし、自動車に至っては

レースを含めてクルマ雑誌に掲載するほどドップリ

嵌ってた。

ただ・・どちらかと言うと、その中核的なチューニング

メーカーやパーツ屋さんと言った業種と直接、業務タッグを

組む事が多かったので、内情と言うか見え方が全然違った。

β(□-□ ) フムフム

経緯で言ったらバイクやクルマのチューニングの歴史は

昭和後半に流行り出し、確かにその頃の日本メーカーの

自動車もバイクも徐々に技術や解析が進んで確立する段階。

なので、メーカー製なのに不備があったり、狙い通りの

性能向上に結び付いて無かったり、弊害があったりしたの。

β(□-□ ) フムフム

今で言ったらメーカー製品は完璧であって、不備はクレームに

なっちゃうと思うんだけど、成長熟成&過渡期は必ずありますから。

その頃に出来た言葉が「チューニング」つまり、調律だったの。

(´~`ヾ)ソーイウコト

っで、おおよそのメーカー製の構成がシッカリ確立出来て来た

頃(1980年台)に、各メーカーはより多くの幅広いユーザー

獲得(シェア拡大)に向け、両立と言うかバランスさせるように

なっていった。

燃費と性能。走行性と乗り心地。パワーと扱いやすさとか

まぁ物理的に相反する両立しない性能の「妥協点」を求め出した。

β(□-□ ) フムフム

つまり、特化を減らし両立させる妥協点「良い落としどころ」を

商品価値に求めて行ったのね?

「馬力があるのに・・燃費が良い」とか「爽快なハンドリングと

乗り心地を両立」とかね?

っで・・・それは自動車やバイクをより多くに普及させる

メーカーとしては正常進化なんだけど・・・そうやって

スポイルされる走行性能やパワーを求める傾向も出て来た。

β(□-□ ) フムフム

当然、各メーカーが妥協しながらもバランスさせた車体を

敢えて性能重視に特化させる改造は、同時に何かの快適性や

静粛性などをスポイルさせる行為。

丁度、当時の昭和後半の時代はローリング族や峠ブーム。

やんちゃな青年が命を削って速く走る事を美化してた。

当然、技量不足をドーピング的に補う風潮が出始め、

バイクやクルマを過度に性能重視に特化させるブームが

起こった。正に私も青春真っただ中でドップリ♪

┐(´д`)┌ソーイウコト

っで、その後、とあるスポーツカーのオーナーズクラブ代表を

経て、チューニング業界と深く関わる事になったの。

っで・・・・ソコで知ったのは

「ちまたの公道チューニングは、真似事で、素人同士が

ガキが買って貰った超合金を自慢しあうような市場」で

チューニングの頂点にあると思い込んでた、本当のレースは

莫大な広告業界で繊細で高度で、全く違ったの。

俺の方が速いだの・・・最速だの・・・何馬力あるだの・・・

どうでも良いガキの自慢で、本当の世界は生きるか死ぬか?

勝つか?負けるか?の競技で、個人的な思惑や言い訳は

全く通用しない。度胸なんぞでは無く、テクニックは繊細で

緻密で正確な技術を要求され、シッカリとタイムに現れる。

データーロガー(各センサーの総合モニター)で操作のひとつ

ひとつ、ちょっとした操作ミスや躊躇まで赤裸々に表示され、

バイクやクルマのせいにする余地は全くない。出来ない。

(*´д`*)アワワ

何かの性能Upパーツを付ければ、当然、効果対費用を求められ

気分やプラシボーなど全く無意味。性能が上がってるのに

何故タイムを縮められない?っと技術不足を責められる始末w

実際、結果を出そうと頑張ったレースは、全ての操作を完璧に

繊細に操作して、完璧に針に糸を通すような技術を要求され

走っててもプレッシャーの方が大きく、全く楽しく無かった。

私は資金と才能の無さで途中で根を上げてしまったけど・・

(´~`ヾ)

その先に・・・本物のレーサーやプロドライバー達って居るの。

その完璧で繊細な操作の先に・・・性能UP&特化ってのがあるの。

( ´,_ゝ`)プッ

つまり、皆が華やかなレーサーやレース競技に憧れて、

愛車をチューニングするのに・・・現実は掛け離れすぎ

プアでガバガバ、度胸とか勘違いした技術の未熟な者同士

「どこまで行っても所詮は素人の真似事の自慢しあい」

でしか無い事を痛感したの。

β(□-□ ) フムフム

なので・・・では無いけどレーサーに装備されてる

改造パーツは、どれも計算され尽くしてワンオフ製で、

とても庶民が買えるような値段では無くメチャ高価。

一個のパーツで数十~数100万円なんてザラ。

一台数千万なんて当たり前。当たり前、メーカーや

スポンサーが数百万円で宣伝効果を狙う広告塔だもん。

もし壊したら自腹弁償か?スポンサーを切られる。

(((( ;゚Д゚)))ガクブル

まぁ・・・それは極端だけどwチューニングと言うのが

既にメーカーが絶妙のバランスで解析した妥協点と言うか

両立を「メカの精通しても無い、運転も未熟で正確性に欠ける

素人が、何かひとつのパーツ単体で性能が上がる」なんて

甘い期待は、無いものねだり&無知ゆえの妄想であって、

単純に性能を落すか?プラシボー効果でしかないの。

┐(´д`)┌ヤレヤレ

特に平成以降のバイクやクルマはノーマルの両立バランス、

妥協点が秀逸になって来て、もはや「何もしない」方が

反って乗りやすく、技術さえあればカナリ速く走れる。

ただ、「素人に不必要な商品を憧れさせて売る」チューニング

市場は、既に数兆円規模にまで膨らみ、数多に出るパーツには

それぞれ(素人が喜び、勘違いして期待するような)耳障りの

良い謳い文句が溢れかえる。

一昔前なら「俺は速さを追求する!」んま、無知バカでも

一辺倒なら、燃費悪化や多少乗りにくかったり違法改造など

スポイルする部分があっても、納得して改造してた。

良いか?悪いか?では無く、意図に意思があったの。

β(□-□ ) フムフム

トコロが令和の今では、チューニングと称した「素人に殆ど

効果の無い真似事の改造パーツを売る」市場はスッカリ廃れ・・・

目的無しで好みと言うか「選んでチョイスするドレスアップ」

に変化してる。しかも「合法で愛車を傷めない」などと

おおよそ本来の改造目的の真逆と言うか・・・・

有りもしない良いトコ取りのような妄想で渦巻く。

一昔前だったら「見掛けばかりでヘナチョコで下手くそ」

と一蹴されるようなマジメちゃんが「自分好みに」正に

超硬金にオプションパーツを買い足すような感じになってる。

( ̄~ ̄;)ウムム

まぁ・・・ミニマム自己満足のヘタレ同士が自慢し合う程度に

落ちぶれちゃったのも悲しいがwその是非では無く・・・・・

「何かをスポイルさせてでも性能特化させる」のを

ノーマルに戻すと言う行為は、実は理に適ってるの。

昭和後半、平成になる頃には各メーカーのバイクやクルマは

既に「何かをスポイルさせて性能特化させる余地が無い」

ほどに熟成してたの。コレは事実。

(≧∇≦)b

っで、上記のように「性能特化」の時代に、敢えて改造を

ノーマルに戻しメーカーの製品をフルに愉しみ、大人しく

乗る。と言うのは一種の解脱と言うか卒業っぽい感じだった。

でも時代が変わり、テクニックも無い。メカ技術もメカ知識も

ネットで調べる程度で「俺は(所詮)ノーマルで十分」と

言うのは・・・諦めでも卒業でもカッコ良くも無く・・・

「そりゃそうだろw元々、必要無かっただけじゃない?」

って事にしか成んない。

┐(´д`)┌ヤレヤレ

私がテクニックが優れてる!メカ知識も技術も精通してる!と

自慢じゃ無くて、「いや・・・そりゃそうだろう」としか思わない。

( ´,_ゝ`)プッ

誰もが自分を過大評価し、自己満足で留まってると・・・

良くその立場で言えるよなぁ?っとなってしまう事に気付かない。

知らない間に自分を都合良く考えちゃうのは・・人間の愚かな性w

(´~`ヾ)

バイクやクルマの話ばかりで判り難いと思うけど・・・・

コレは、今度買おうとしてる高性能PCでも最新スマホでも

新しく乗り換える新車でも冷蔵庫でも・・全く同じ事が言えるの。

( ´,_ゝ`)プッ

本当に吟味や性能比較、挙句は価格比較で価値を見定めようと

必死になる前に、誰でも性能が上の方が良いし謳い文句が良い、

評判が良い、最新の商品の方が良いように思う。

相手は商売だからセールストーク満載だから当然ですw

これは以前の・・・

「身の丈に合わせるとは、自分の丈を短く合わすのでは無い」

と相反する事になるんだけど、自分に必要な性能や価格と

「謳い文句で良い事しか書かないセールストーク」の中で

真剣に比較して悩む事に、本当は意味は存在しないの。

┐(´д`)┌ヤレヤレ

買いたい時が買い替え時ですし、良いと一番最初に思ったのが

買って満足できる正解で、後で比較する行為は不毛なの。

そもそも自己満足でしか無く、全ての性能を出し切れる程

優れた人間じゃあ無いんですから。

「コッチとアッチで迷ってる」迷ったりチョイス出来るのを

楽しむのはワクワク楽しい事で浸れば良いけど、どっちを

買っても正解で、本当は自分自身も最初から知ってる筈。

(* ´艸`)

だけど、チューニングやオプションパーツと言うモノに

そもそも下手で曖昧な技術や知識で必要なのか?と言うと

「他人との差、見栄え」でしか無いし、今の時代、そんな

度胸と言うか割り切り&納得する意思も無いのに、何かを

スポイルさせてまで特化させる事はナンセンスですよ♪

「俺は(所詮)ノーマルで十分」・・・・読み返すと

「一体、誰目線やねん!」マジでウケるw(* ´艸`)

私が言いたいのは小馬鹿にしたいんじゃ無くて・・・

「人って、自分で都合良く美化して思い込み付け上がる」

本人を諭したいのでは無い。既に、そう言う時代だから

シッカリ地に足を付けると言うのは容易では無い。

逆にセールストークで自社の商品を都合良く思い込ませて

売るなら、ソコはホワンとさせて気付かせぬように徹しろ!

良い悪いでは無く、そうやって、世の数多の商売ってのは

成り立ってる。

相反する事を自分の中で咀嚼してバランスさせる事が大事で

もし、それに気付いたなら・・・何年も残り続けて誰でも

見れちゃうSNSには個人で気軽に書かない方が良いよ♪

ヽ( ´ ▽ ` )ノヘラヘラ

50歳近くなって、今頃そんな事言ってるのって・・・

カッコ悪い事だと気付いてw私は言わずにソッとするけどw