えーっと・・・7月25日は私の誕生日らしい。
っと言うか、戦後間もない出生率の低い時代なら
ともかく ( ̄~ ̄;)ウムム
生きただけで祝われるのは変で、祝って貰うのでは
無くて、本来、この日に私を生んでくれた
私の両親に私が感謝すべきだろう?と思うので、
捻くれ者でホントに自分の誕生日に興味が無い。
・
トコロが、去年末、脳梗塞を患い、ホントに生死を
彷徨った。あの晩、もし、起きなかったら・・・・
私はポツーンっと死んでた訳です。
悲しい&悲しくないとか感情的な部分を抜いて客観的に
鑑みると・・・・
「あー、クラフトらふって木工のオッサン居たよね?
なんかまだ50歳くらいで死んじゃったらしいわよ?」
(* ´艸`)
身内の少しの話題ネタにはなるだろうけど、葬式が終われば
花子(嫁)や蘭爺含め、皆さんも、また忙しく普通の日々に
追われる。私が居ないだけで、何も変わらぬ普通の日々が進む。
・
恐らくそうで、今まで沢山の故人はそうして来た。
ホント、ちょっとした事で人間は生死を分け、どちらかと言うと
今生きている事が奇跡。
客観的にあの夜、死んでも不思議では無かった。っと言う視点で
見ると、今ある生きてる日々がアディショナルタイムみたいで
ホントのホントに有難く感じる。
っで・・・・・
自分の誕生日を祝ってくれる事が今さらになって、
ホント有難い。
誕生日は祝うモノでしょ?祝って貰って当然。常識よ?
っと言う感覚では判らないだろうけど、他人が自分の
誕生日を覚えてくれてる事がこんなに有難い事で、
祝って貰える事が嬉しく感謝でしかない。
「生きてますよ」の実感が今まで以上に感じられる。
・
とは言っても、誕生日つったら、条件反射的に
ケーキやプレゼントを連想したり、社交辞令で
おめでとー連発したり、形式的な人間関係配慮を鑑み
取り合えず祝っておく・・・は、なんか違うと思いますが
(相手がソコまで思ってくれてなくとも)
自分の生命と言う目線で見れば「今年も生きてた」
祝いみたいなもんなんだな?っと改めて思った。
(*´σー`)エヘヘ
っで・・・・
花子(嫁)がサプライズでご両親とサプライズ旅行を
決めてて、私の誕生日に合わせてくれてた♪
嫁のご両親にも多大な心配を掛けたし、ウチの両親のように
毎日顔を合わせる事も無いので、ピンピンしてる私を
見た事が無く、一泊二日の旅行を通じて、生活上の不具合は
微小だと知って、相当に安心して貰えたと思う。
(* ´艸`)
そして、実は一番救われたのは私で、心の底から
「あー・・・今年もこの景色が見られた♪
ホントに生きてて良かった」っと涙腺が緩んだ。
さすがだなぁ?ウチの花子(嫁)は。