去年末の脳梗塞発症以来・・・・出来るだけ
些細な事でも変化や感覚的なモノを書き残そうと思ってます。
発病した当時と、今では先の見通しの見え方が全然違うので
そもそもの感情が違いますし、心に余裕が無かったと思います。
些細な変化に過敏になりすぎたり・・・取りこし苦労も沢山W
それと、面白い事にあんなに苦労して唯一縋れた「筋肉への
直接指令」さえもドンドン忘れてしまう。
・
まぁ・・・・もし、死んだり再発したら、ソレが予兆と言う事で、
そんなに運良く脳梗塞を患った人に直接届くとは思わないけど
何かの役と言うか情報として残すべきだな?っと勝手に
思って書き残してます。
・
一番は、夜間発症して救急搬送され、tPA剤が効いたのに
発症からの時間が結構経ってて(恐らく4時間以上)
脳ダメージが深刻で左半身麻痺になっちゃった時に・・・
「動かない四肢に念じるのでは無くて、該当する各筋肉に
直接指令を送って強引に動かす方法。」
を自己流で編み出し実践したのね。
・
脳梗塞には普通、手術は無いので、翌朝までに経過観察と
並行して症状確定&診断されて、あれよあれよと・・・
急患でも無いようなフワフワした扱いになり・・・
区切りなく、そのままリハビリに移行します。
・
診断と言うか、今後の治療方法とかの説明はありますが
医師も言いにくい事なのでハッキリとは言ってくれないし、
そもそも現状(左半身麻痺状態)は自分で判りますから・・
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
でも自分の身体の症状や、昨夜、脳梗塞で運ばれた現状把握と
言うか・・・・昨日の今日でナカナカ受け入れられず、
心と身体が全然間に合って無いので、半身麻痺は徐々に
消えるモノなのか?回復はどの程度望めるか?全然判りません。
正直、似て起きたら重篤な身体障害者・・・・・
その現実を受け入れたくない、ドッキリや夢では無いよね?
状態です。
その日は「マジかぁ・・・(*´Д`)」って100回はため息で
その度に今後の絶望、明日からの仕事や生活に不安を感じ
物凄く落ち込む・・・・
いっそのこと自殺しようにもベッドから起き上がる事さえ
できない・・・・イヤイヤ、こんな事でくじけるな!っで
その繰り返しだったように思います。
(ノД`)・゜・。
動かなくなった自分の左手&左足を見つめると・・・
じわーっと涙が溜まって来ます。
昨日まで「チカラ仕事は俺に任せろ!」だった筈が、
翌朝には半身麻痺の重篤な身体障害者ですから、無理もない。
・
まる一日、ベットでずーっと泣いてました。
「これから仕事はどうしよう?収入無くなるよな?モノを
作れないだろうな?嫁に介護して貰わなきゃいけないのかな?」
グルグルぐるぐる、どうして良いのか全く分からない。
・
「どうにか少しでも、俺の左身体また動いてくれれば・・・」
の逃げと言うか現実逃避っぽい感覚だったと思う。
いつものように腕を上げたり足を上げるように念じても・・・
ウンともスンとも全く反応しない。
完全に痺れてるし右脳の中も壊死してリセットなんだから
電源入ってない機械と同じで全くの「無」・・・・
(ノД`)・゜・。
「クソクソクソクソっ!動きやがれ!!!」だったと思う。
情けなくて、やるせなくて、暴れたいような、叫びたいような・・
その時にホンの僅かに左足の指がピクンと動いた(ような気がした)
・
そして、( ゚д゚)ハッ!っと高校生の時にバイク事故で左足切断寸前で
集中治療室に居た時の事を思い出した。
あの時は、事故の衝撃で左足首が殆ど千切れてしまって筋肉も
筋も神経も全部切れてた筈なんだけど・・・・
数日経った治療中、寝てる時にチクッとかピクンと言う微かな
違和感を掴み、無理やり、その感覚を手繰り寄せるようにしたら、
感覚が戻り出しチカラが入るようになり・・・「奇跡だ」とかで
動かない筈の左足が動くようになった事を思い出した。
・
その時と状況は同じ。いや今度は左半身全部だから相当違うか?
( ´,_ゝ`)プッ
何処にどうすれば何処の筋肉が反応するなんて皆目判らないが
とにかく、アレやコレやとちょっとずつ変化を付けてチカラを
入れてたら、ピクンと動く時がある。
「動かす」と言うより、腕やお尻にギューッと力を入れて
筋肉を硬く(収縮)する感じです。
手足やどこかを「動かす」感じだと全く動かない筈。
「グっ」っとチカラを入れて筋肉を収縮させる事で
つられて動かしたい部位がついでに動く感じ。
・
ソレをキッカケにパズルを解くように、こうしたら?
んじゃ、コッチなら?あー、そー言う感じね?じゃあコッチは?
って感じで、ちょっとずつピクンと意図的に各部位が動くように、
筋肉に指令を送る方法を覚える。
寝たきりなので、時間は十分にある。
・
イメージ的に言えば、自分の脳の中に仕切りなんてないですが、
空想でマス目で部位ごとに区切って順番に押すような感覚。
私の場合、左目の奥の奥(裏の裏なら表か?)の奥の方に
左脚が反応する感じで、左のほっぺのちょい下くらいに左手が
反応するトコロがある感じ。指先は右の方に広がって有って・・・
左肩は左目の上くらいの位置だった。
全部、感覚的なイメージだから人それぞれで正確では無いと
思うけど。
「クッ」っと入れるチカラにも緩急付けたり変化させてると
効率の良い、良く筋肉が動く方法が何となく判って来ます。
どうやったら筋力が増減するのか?ずーっと持続させる方法
とか、この時に・・・・何となく要領を掴みました。
・
筋肉を強張らせる感じになるので部位がポカポカになるし
頭を使うからか?やたらと甘いモノが欲しくなります。
何もせずに、やたらと汗かいて疲れてるので看護師も
不思議に思ったはず。
今思えば、この時の自己流のガムシャラ何が何でも
動いてやるぞ!作戦が功を奏したように思います。
・
そうすると、曲りなりにでも、ちょっとずつ動けるように
なるので、キッカケでリハビリが進むので希望を持てます。
・
たぶん、患って無い普通の人は動かなくなった四肢に
「動けー!」っと念力みたいに念じれば動くように思ってる筈。
それしか方法を知らない筈。
ソレで動かないなら外科医も・・・残念ながら動かないモノだと
決めてしまうがそうじゃない!
そう念じて動かない程の深い脳ダメージでも、どうにか
無理くり動かせるし、反応出来れば動くキッカケになり
(こうなってからの指導は、急性期の療法士さんはモチベーションを
上げてくれつつ、諦めずにコツコツに気長に付き合ってくれて
メチャ上手いです。)遅いながらも回復する。
諦めないで!っと強く言いたい。
・
今だから正直に言いますが、最初のリハビリの時間に
「ココまで動かせそうですか?」の問いに、随分、上記の
荒業で無理やり動かしてたので、療法士さんの進めたい方向に
進まない事が度々あった。
本来なら「アレもコレも先生の言う動作、全部動かねーよ」
ですが、何とか反応して頑張ってる事を見せる。
「あー・・・少し反応してますね?もう少し頑張れますか?」
と聞かれ私は「が・が・頑張ってみます」と誤魔化して
密かに翌朝までベッドで練習して、次の日のリハビリに
間に合わせる。みたいな事をしてましたW
徹夜しても昼間に寝れば良いだけなので無理はしてないですし、
出来るようになれば後は一緒ですからね。
(*´σー`)エヘヘ
MRI画像から推測する症状と違うので変だな?とは思われた筈
ですが、最初のリハビリのコマ数を大幅に進めた感じはありました。
・
とにかく「発病から2週間、脳が動作を何となく記憶してる間に
出来る限り必死で動いて身体に覚えこませる」のに徹しました。
例えば、療法士さんの優しさで
「あー・・ちょっとコレは早かったかも?焦らなくて大丈夫ですよ?」
っで、軽くリハビリ数か月分は遅れるし、無理をさせない療法士さんだったら
そのまま出来ない事として避け、知らずに甘やかし、後遺症として
一生涯残ってしまうかも知れないの。
( ̄~ ̄;)ウムム
私は、そう言われちゃった事は、その日の内に練習して出来るようにして
翌日には「センセー、やっぱ出来たわW」と見せて巻き戻らないように
報告してました。
・
センセーが「止めておきましょう」で自分も「まだ出来ない」と
してしまえば(身体的に出来ても)ソレは出来ない事(後遺症)
になりますからね。ホントにセンシティブで難しいトコロ。
(@_@)ギクッ
ホントのトコロ「先生、何処まで治りますか?」の問いには
「やればやるだけ回復しますが、頑張り方は人それぞれですし
出来るのに出来ないように演技すれば療法士は見抜けませんから
「頑張ったがソコまで」と言う事になる」ってのが本音だろう。
人間は弱くなるしズル賢い動物です。
優しいアドバイザー的な担当者が「大丈夫です。障害が残っても
各所申請をすれば国からの援助が・・・」と慰められます。
(*´σー`)エヘヘ
後遺症が無く退院する。と言うのは、聞こえは良いですが、
ハンデを背負ったまま、一般人と変わらぬ大海原に無条件で
放り出されるようなもの。身を粉にして努力する・・・・が
健全者よりも遥かに難しく厳しいとしても自己責任なので。
( ̄~ ̄;)ウムム
ココはそれぞれ、違って当然だと思います。
一生要介護で車椅子生活で「大変だったね?」で慰めて欲しい人も
居れば、私のように皆と変わらず厳しい社会を生き抜こうと思うのも
一つだと思う。
まぁ・・・這い上がって来た経験者ですからベテラン療法士さんでも
見抜けない「ホントは、もう少し回復できたかも?」も何となく
見抜けますが・・・・そんな野暮な事を言っても無意味でしょう。
私も、あと10歳後に発症してたら・・・・
根性も肉体的体力や対処法や心の収め処も違ってた筈ですからね。
・
っで、話戻って・・・
基本的にリハビリで超人的な運動や一般の普通の人でも出来ないような
運動や動作課題は絶対に無い訳です。ある程度以上の筋力も必要ない。
健康な80歳の婆さんが出来る程度の事しかない。
(私がリハビリ入院中にラジオ体操や縄跳びをしてたのは特例中の特例です)
β(□-□ ) フムフム
普通に基本的な運動として高齢者でも出来る程度の運動や動作。
っと言う事は競技的な熟練度では無くて、指令の送り方やバランスが
悪いだけで筋肉や筋の動き方を意識すれば克服出来ます。
後に回復期リハビリの作業機能回復のテストも同じく、普通の
健常者ならテストとも呼べない程に、当たり前の普通の動作。
β(□-□ ) フムフム
私も知らなかったのですが、大抵の運動や動作と言うのは
どこかの筋肉単体では終わらず、例えば腕を大きく回す動作など、
次々に担当部位や筋肉に指令を出すように連動させたり・・・・・
パンチするように、行って帰ってくるように筋肉の収縮と
切り替えをする反復的な動作がある事など、意外に複雑でした。
・
整体学になるのか?とにかく人間の身体、筋肉と言うのはホントに
良く出来てて、筋肉が縮む方向と、伸ばす方向、それぞれに違いが
あって・・・・・
例えば肘や膝の関節にモーター付けてるロボットは、絶対に人間工学が
判ってないです。歩くと言うメカニズムはホントに上手く出来てて
何処かの部位をモーターで回す・・・そんな低次元に無いです。
腕を前や上に伸ばすのは真っすぐ伸びるのでは無くて、微妙に
色んな筋肉が作用して回転しながら伸びてたりします。
どんな些細な動きも何処か特定の筋肉ひとつでやってる事は無く
色んな筋肉が少しずつ支え合って補佐しながらバトンタッチしながら
運動や動作って出来てます。
そう言うのはベッドでスマホでググって一生懸命学び、実践してました。
・
そんな中で「ラジオ体操第一」と言うのは、本当に良く考えられてて
歩くとか、足の筋肉を使う時やストレッチの方法も学びました。
例えば「柔軟」と聞くと「身体の柔らかさ」だと大抵の人は思い込んで
ますが、柔軟の大半は身体の半分、下半身(脚)のストレッチです。
(´・ω`・)エッ?
そういう風に仕組みを理解しながら筋肉に直接指令を送る・・・・
メチャクチャ頭を使います。複雑な動きだと知恵熱出そうですW
歩くとかだと、リズミカルに順序良く指令を切り替えるので必死。
話しかけられるのも辛い程、コッチはガッチャンコガッチャンコと
必死です。
(;´Д`)ヒィ!
っで、コレを続けてると・・・・・ご褒美的に、何と言うか・・・
慣れた一連の指令をパックにまとめたようなフローチャートっぽい
感じが出来てきます。
じゃんけんしようとしたら、その前に手を2度リズムに合わせて振る
みたいな事です。イチイチ指令が要らないので凄く楽に感じます。
・
そして、退院して(発症から半年以上経過しても)改善は続きます。
私の場合は半年後に左足の親指の感覚が戻りました。
それまでは左足の他の4本の指は動くものの親指だけは動かず、
指で弾けば全くチカラが入らず上下にピョコピョコ動く感じ。
先生も「コレは今は(将来的にも)動かないかも?」で私も半分
諦めてたのに、半年のある日から、2週間くらいㇺズ痒くなった
後に神経が再び繋がって感覚が戻りチカラが入り動くようになった。
・
コレ、すんごく大事で親指にチカラが入るようになって「踏ん張れる」
ようになります。また歩いたり走ったりジャンプしたりの「蹴り足」
の蹴り、地面から離れる瞬間に親指で地面を蹴る事が出来るように!
バイクを支えてる時にもグっっと踏ん張れるし・・・・
階段でよろけても、グっっと踏ん張れる。クルっと向きを変えたり
最大の利点は「再び走れる」事です♪
・
まぁ・・・不自由になって初めて判る足の親指の有難みW
また使えるようになって、本当にありがたい。
また、こういう風に神経が再び繋がって感覚が戻り、逆に親指からの
触感とかフィードバックが増えてチカラがちゃんと入るようになると
あの「イチイチ全ての動作に筋肉に直接指令を送る」が不要。
超ークソ面倒なのを省いて、昔のように直観でヒョイと念じれば
普通に手足が動くようになる。
残念ながら・・・そうなる分、あの苦労して修得した、あのクソ面倒な
筋肉指令をもう使わなくなるので・・・アッと言う間に忘れてしまいます。
・
そう、「左足の親指」次に「左手の親指」そして先日から
今度は「左手の人差し指と中指」と・・・・次々に各部位の
末端神経が再び繋がって、徐々に昔のように直観的に念じるだけで
動かせるようになった分、もろ手を挙げて歓喜する分・・・・
もう、どうやってたかも?忘れるほど、あのクソメンドクセー
筋肉に直接指令を出してた感覚を忘れてしまうの。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
もう不必要なのかも知れないけど、あんだけ苦労して修得し
逆にソレのお蔭でココまで回復出来たのに・・・・・・
なんかスッポリ忘れてしまうのは惜しいような何とも
言えない気分になる。
・
先に書いたようにお尻にチカラを入れるような感じと言っても
もっと洗練されて0.2秒刻みでも、次々に連続してパートを
切り替える出来るようになります。
音で言えば「ぐーっ」では無くて「ピッピッ」って素早い感じ。
早押しゲームと言うか、太鼓の達人的なリズムゲームで
次々連携してマス目の該当筋肉に指令を送る感じ。
うーん伝わりにくいか?
(*´σー`)エヘヘ
以前に書いたように、この直接指令は本当にメンドクセーし
脳が疲れる。なのにソコまで難儀して、やっと普通に動くだけW
何ともやるせない(笑)まどろっこしくてハンデっぽくて嫌だった。
(*´σー`)エヘヘ
だから逆に、やっと動かせるようになったのに、指令が面倒で
出来るだけ左は使いたくない。っという変なダラけた感じにも陥った。
(*´σー`)エヘヘ
知らない人が「へぇ?後遺症は少なかったんですね?」とか
「随分、回復して「元に戻った」んですね?」なんて言われると
ホントに(この努力を無視されてる事に)ムカついたんだけど。
・
ソレが不要で、メチャクチャ楽に左手足が動くように
なったんだから・・・喜ばしい事なんだけど・・・
もう再び一回も実践できない程に、スッポリ忘れてしまうのは
何か惜しい。誰かに伝授しなくて良かったのかなぁ?とか思う。
まぁ・・・・誰でも我流で編み出せるとは思うけど、
信念と言うのか「正解か?どうかも判らずに、コレやってて
動くようになるのか?」も判らずに必死に覚えるのって
私も過去の経験が無かったら無理だったと思うモノ。
(*´σー`)エヘヘ
説明書も完成図も無くなったジグソーパズルに挑むような
(しかもピースが全部あるとは保証されてない感じ)
開かれた折紙の僅かな山と谷の折り目から、もう一度折るような
木工で無理難題を言われるような・・・・
問題解決術みたいなのが必要なんだよなぁ・・・
( ̄~ ̄;)ウムム
私も必死だったから、あんな気の遠くなるような方法を
編み出せたんだと思う。
自分でもこの先も覚えておきたいけど・・・・
人間て忘れる生き物で絶対忘れちゃいけないモノでも
忘れてしまうモノ。こうやるのですよ?っで、鼻歌混じりで
出来るくらいだったのに・・・あー・・・惜しい。
・
さすがに、この超~メンドクセーけどお蔭で動けるようになった
「直接、筋肉を指令を送る方法」は忘れんだろう?っと思ってたのに
全く使わなくて良くなった、たった数日で、もう忘れておぼろげに
なったから、慌てて書いてますW
(*´σー`)エヘヘ
その内に、ココに書き残した事も忘れてしまうかも?
少なくとも「昨日の事のように」ではいずれ無くなる筈。
じゃあ、まだ感覚的に覚えてる間に出来るだけ書き残そう
って事です。
医学的に間違ってる事もあるかも知れませんが、有名な
脳外科医でも経験してない事を経験してますから、信ぴょう性?
再現性はあると思います。
・
まぁ一生、脳梗塞を患わない人数の方が圧倒的に多い訳です。
数量的に言えば、私の経験談が役立つ人はごく少数です。
でも、運悪く患ってしまった人の周りの家族や親族、友人
と言うのは意外に多いとも言えます。この周囲の方の優しさに
患者は随分救われます。
・
また、無知で無難な人ほど、何の根拠も無く
「ゆっくり自分のペースで・・・」的な事を無責任に
言い放ってしまう。私も数人から言われましたが無視して
発病から2週間までの期間、必死に励んだ結果が現在です。
もし、あの時、ダラダラ過ごしてしまったら取り返せません。
何となく、その場を繕ったそれっぽい社交辞令だろうから
責任を感じてゴメンなさいとも無い。
でも発病後2週間はホントに大切で、無視して頑張って良かったと
思うし、今さら言い放った相手に「知らんのに適当な事言うなよ」
とも思わない。それもこれも回復した現在があるから。
・
そして結果論的に言えば予防策など無く、ほぼ運。
100Kg越で暴飲暴食してる喫煙者でもならない人は居るし
90歳超えの元気な隣の婆さんは、私の発症があの夜では無く
30年後に遅れるより、もっと幸福な事なんです。
・
だから、何処まで有益な情報なのか?判らないけど・・・・・
書き残すくらいはしておきたいな。って事です。
木工と全く関係無くてごめんチャイ(*´σー`)エヘヘ