日別アーカイブ: 2024年4月6日

再び桜を見に行く

えーっと・・・今月から来月まで週末、飲食出店イベントが続くのですが

前日の土曜日。急遽と言うか無理やりスケジュールを空けて・・・・

嫁さんと、今年も最初が峰に桜花見に行ってきました♪

もう・・・・4~5年になるかな?

一番最初は私がCB400SFに乗り始めた頃・・・花子(嫁)も

中型免許は持ってたモノのバイク無しで2人タンデムで

迷いまくって(笑)見に来たっけ・・・

(* ´艸`)

それから、花子(嫁)もバイクを乗り始め、毎年この時期に

2台で行くように恒例行事なってた。

ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

っが、2年前に私が脳梗塞で入院し、半身麻痺になってしまい

もうバイクも乗れない絶望的な状態・・・・・だったけど

必死のリハビリで見事に復活!リハビリ退院の目標は

「後遺症も介護なし!で再び大型バイクを嫁さんと乗る!」

だった。

ソレが今、現実に叶ってる。ヾ(*´∀`*)ノ

たぶん、大きなケガや大病を患った方なら判るだろうけど、

「あっ・・・コレはマジにヤバいな?今日、死ぬのかも?」

って気付いた時、ホント・・・冷静に

(死ぬのが恐いのでは無くて)

「そっか・・・もう会えないのか?残念だなぁ・・・」

っと言う淋しいと言うより、残念な気持ちになるの。

「あぁ・・・もっとみんなに感謝しておけばよかった」みたいにね?

コレは物語や小説読んで想像上で感情移入して泣けてくるのとは

違い、ホントにリアルで走馬灯が過って時間がゆっくりになって・・・

一言で言ったら「残念」としか言いようがない。

後悔も懺悔も謝罪とかもモチロンなんだけど、そんなのは後からで

ホントに、この世から自分だけ退場しなきゃいけない事がホントに

残念で、思い残す事だらけでタイムアップかぁ・・・って感覚なの。

( ̄~ ̄;)ウムム

っで、もし、もしも死ぬ時が判っているなら・・・もっと、こうしておけば

仲良くして喧嘩しなきゃ良かった・・・っとか色々思う訳よ。

でも、いつしか忘れて、生きてる事が当たり前になって、

(自分が)クソ生意気になっちゃうの。

私自身、学生時代、大きなバイク事故で生死を彷徨って判ってた筈なのに

ホント、2年前に意識もうろうと救急車に運ばれてる時に・・・・

「あぁ・・そうだったよなぁ・・・」って後悔先に立たずでした。

腹が立つ。侮辱された。相手にもされなかった。軽く見られた。

言い方よっ!常識的に変じゃない?なんで私ばっかり・・・・・

誰だって、日々、色々思う事があると思うし感情的になっちゃうもの。

(*・ω・)(*-ω-)

最愛のパートナーや家族に心にもない酷い事を言い放ったり、

友達と喧嘩別れしたり・・・でもね?それらの不満は全て、

(相手も自分も)

「明日も生きてるだろうと言う傲慢な楽観的前提」なの。

つまりね?明日、死ぬと判ってる人に暴言なんて吐く意味無いし、

自分が明日、死んじゃうのにワザワザ嫌われたい人も居ない。

まさか、後で謝るツモリが死ねば謝罪も出来なくなるとまでは思ってない。

β(□-□ ) フムフム

自殺なんて、典型的ですよね?「自分は明日も生きてる」と

思ってるからこそ自ら命を絶とうとか・・・・どんだけ傲慢やねん!

死にたいんなら、その健康体、俺にくれよ(笑)

┐(´∀`)┌ッタクッ!

っと言うか、自害して命を絶ったとして、その瞬間、嫌でも気付くと思う。

「あっ・・ちがっ!そっかぁ・・そうだったのか・・」っと

死ぬ間際に気付いちゃうと思う。

死んで逃れる以外に選択肢がゼロでも無かった事や、それほど嫌で

逃げたいと思ってたそのものが被害妄想で自分から生み出してたんだな?とか・・

┐(´∀`)┌ダローネ?

っで、「命は大切だ」とか「命は儚いもので守るべき」とかになるんだろうけど

「死ぬのが恐い」死への恐怖ってのは、死なないと思ってる傲慢ゆえの妄想なのw

死ぬ時ってね?

事故でも病気でも老衰でも・・・・まさか、今日、コレで自分はプツリと

死ぬんだろうと気付く瞬間まで、死ぬ予測は出来ていないモノなの。

死の恐怖に怯えながら・・・・なんて事は無い。

現に、あの夜、私は死んでいたかも知れないのに、あの瞬間まで

「今日でポックリ死ぬ」とは判って無かった。

「ワシはもうアカンねん。いままでホント有難うな?」とか

言ってる寝たきり爺さんですら・・・・あと2分後に・・まさかと

思ってるもんです。

( ´,_ゝ`)プッ

だから、死が恐い&死を受け入れるなんて心構えは無意味で

生に執着してようがいまいが、全く関係ない。

闘病で苦しんだり、諦めてる人ですら、まさか今夜とかは思ってない。

┐(´∀`)┌ヤレヤレ

つまりね?どっちみち、未練タラタラで、ある意味、諦めと言うか

踏ん切りは付くけど、覚悟なんてのはしようが無いし、どうであっても

「あぁ・・・・そっかぁ・・・死ぬのか・・・残念だなぁ?」としか

思わないと思う。

事故や災難で一瞬だと、それすら考えられない事はあるだろうけど。

っでね?そう考えたら「人に嫌われないように」とか、そんな次元じゃ無くて

世の中の全ての人に感謝しか無いし、特に自分と関りを持ってくれた人々に

ホントに有難うしか無いの。っで、もし、運よく今も生きれていたら・・・・

ホントに生きてる、たったそれだけの事が、もの凄くラッキーで有難いと感じる。

ヘラヘラ生きろって意味じゃ無くて、慎ましく生きろって意味じゃ無くて、

「不満は傲慢ゆえに生まれる感情」なんだと気付かないとね。

「明日もきっと生きてるだろう」と言う自分勝手な何の根拠も無い自己中の

楽観的思考前提で、それ前提だと当然だとしてた感情も、どちらかが

プツリと死ねば、一気に崩壊して崩れちゃうの。

どっちが合ってる、間違ってる・・・そんなのひっくり返っちゃう。

っで・・・自分の死は(自分にとって)最大級の大事件なんだけど・・・

当たり前と言うか、自分以外の人にとっては、所詮は他人事で、普通に

一般的にあり得る不幸の「お悔み」の一つに過ぎないのよ。

そう考えると、今を出来るだけ楽しく生きて、大切な人と人生を謳歌した方が

お徳だと判る。

それで例え、どんだけ謳歌した来たとして・・・死ぬときは、やっぱり

「残念だなぁ・・」っと思っちゃうんだから。死は避けられないし、

どんだけ慎重に生きても、どれだけ体調管理してても死ぬときは死ぬ。

まぁ・・・・愚痴になっちゃうけど、私より不摂生してる人は山のようにいて

毎年健康診断に引っ掛かってる100kg超えデブや90歳超えてもピンピン

してる高齢者とか居て・・ワシは4回も脳梗塞になったなどと自慢してる

クソ爺見てると、なんで俺やねん!ってホントに思うけど・・・・

ソレが不運。

日頃の行いが良かろうと悪かろうと、健康に気を配ろうと配らなくても

全然、カンケー無い。やるせない、なんとも納得しにくい現実。

それを強引に自分で受け入れ納得する手段が「不運だった」と

言う事にしてるだけ。

そして、ソレでも今、生かして貰い、生きれてる事。

ホント「生きてるだけで丸儲け」な事。ポンコツになっちゃった私を

支えてくれる家族、友人。もうホント死ぬまで感謝しかない。

こんなキレイな景色。田舎の素晴らしさ。無い事の不満より

ある事への感謝を忘れず、強い意志があったからこそ、私は

また折れる事なく頑張れるし、支え甲斐があると言うモノ。

「今年も嫁さんとセンダボ2台で見に来れた。

 あぁ・・生きてて幸せだなぁ・・・感謝せねば」

そう噛み締めた。

皆さんも日々の中で「イラッ」っとしちゃう時があると思うけど

怒りたければ怒れば良い。でも、互いに明日も生きてる幸せ前提で

それ故のクソ生意気な傲慢から沸き上がる感情だと気付くべき

だと思う。

私はアホだから(*´σー`)エヘヘ人生で2度も死に掛けて気付いたけど、

そのくらい皆さんなら判ると思う。生きてる事こそが幸せです。